幾度となく、このアントワネット的言い回しを使ったことが(笑)
食糧不足と災害の関係は、備蓄において兄弟のようなものかもしれません。
陰謀論としては陰の方々が、災害だ食糧不足だ戦争だ、はたまた人工地震だ気象操作だ、ケムトレイルだとさまざまな出来事を操り、起こしていると、怖~いことがまことしやかに噂されておりますね。
コロンとしたわくわく感もありますので、けして『ただの御伽話(創作)』ともいい切れないところですが、起きている世界のことは日本とはあわせ鏡。。。
とまぁこれは、ちょっと置いておきまして(笑)
やっぱりお米、米なのよ
原因が何であろうと、世界規模の食糧不足は展開されつつあり、穀物地帯は危機的な状況ですよね。
やはり一般家庭で見直されるべきはイチもニもなく、お米です、姐さんアニキ! 御米、コメ、神の米。
米、米油、米粉、餅、雑穀、日本酒、米麹、米粉加工の麺類やパンなど、今のうちから小麦 → 少しずつシフトしてみましょう~。
僭越ながら私も最近、実験的にシフトしつつあります。
米粉お好み焼き、天ぷらの衣と揚げ油も米粉と米油、パウンドケーキも米粉、ピザも餅ピザにしてみたり。
そしてお蕎麦も十割蕎麦にしてみたりと。
蕎麦好きには十割って、たまらんですね~(*^^*)
私は長年グルテン中毒のようで、パンはなくても平気でも麺類はやっぱり恋しくなります(どうしてもインスタントラーメン&カップ麺はやめられない…)。
まぁ気負わないでやる『気持ちグルテンなるべくカット』は、結果的に考えたらダイエットにも健康にもきっといい(笑)
食糧不足、小麦がなければお米を食べれば。
おいしさは低下しますが、古米だっていいんです、食べられれば。
虫が湧いてたって取り除けば、かまやしません。
そもそも食糧難で昆虫食のこともいわれているくらいですから、コクゾウムシなんてどうってこともない(笑)
日本はお米の備蓄があり、生産も今のところは、ほぼ100%近く、スーパーソウルフードといわれております(ただ今年のラニーニャやトンガ噴火の影響はどうかなぁ。。。)。
パンを主食にしている方も多いですが、ぜひこの機会にお米に戻してみてください。
原点に戻ればお米の良さがよくわかります。
とぐのが面倒なら無洗米を使えばラクですし。
炊いたごはんはシンプルそのもの、余分なものは入っていなく、そして炊ければ、何にでも合うごはんのできあがり。
豆! 偉大なたんぱく源
大豆もけして良い状態ではないようですけど、大豆パウダーなどはある程度の保存が効きますし、乾燥豆そのもの、大豆、小豆、黒豆など種類はいろいろ、小麦よりはまだ危機感はマシ、腹持ちもすごくいいので備蓄には入れておいた方がいいかな~と思っております。。。
枕の中身に小豆使って、のっぴきならない状況の時にそれを食べたという戦時中のお話もありますし、保存からいったら恐ろしいほど長持ちしますよね。
あとは乾物ですね、これも昔から保存食ですし、高野豆腐なども栄養豊富で乾燥していますから。
私はやったことはないですが、乾物野菜もベランダなどで作れるそうですね。
うまみや栄養価がアップするとか?
そして規模に関わらず、菜園をやられる方も増えているようですし、ちむどんどんしますね~(笑)
最初から上手にはできないでしょうけど、考えて工夫してみることって、すごく大事なことで、本来そのようなことが世の中を豊かにするのではと(^-^)
たとえ備蓄をしていても、それが尽きる時は必ず来る。
ここまで考えてみると、かなり悲観的ではありますが、生かされる者は何があっても生かされ、またその反対も。
『よひとやむみな』にもそのような記述があります。
それが成るように成る、ということですよね。
何を企てても、どんなに富があっても、↑の成り立ちから生物は逃れられません。
…ナマモノではないですよ?
セイブツ、イキモノです、念のため。
ナマモノは季節的にはお豆腐やお刺身がやっぱりおいしいですけど、アニサキス気をつけなきゃ。
AIだろうが仮想だろうが不老不死やってみろ、世界統一教会じゃなかったニューワールドオーダー? ひと握りのパワーエリート?もうなんでもいいです、それらですら、成るように成る。
良い人が悪い顔をしてくることも、悪い人が良い顔をしてきたりもします。
もちつもたれつと物々交換
ホントは物々交換ができるといいですね~。
釣りが得意な人から魚を受け取り、代わりに畑が得意な人が採れた野菜を渡す。
牛乳と卵が多く手に入ったのでおすそわけ、それを料理得意な人がプリンにして返す。。。
お金というものが登場してから、人はより、欲に走り損得で物事を考えるようになりました。
お金がなくちゃ何もできない、社会からは異端、富があれば豊かな生活が約束される、すべてお金中心で回っていて、心よりもお金が優先される。
お金を稼がなきゃ生活ができないからみんな我慢して仕事をしての我慢に人生の多くの時間を費やされた上、どこかに吸い取られていく。
綺麗事をいったとしても、それがこの社会の現実。
お金の登場は悪だったと私は思います。
成るがまま、成るように、ただ、暮らしていた。
誰にもコントロールなどされず、誰のこともコントロールしなかった。
人間だから多少のケンカはあったでしょうけど。
死は切なくても悲しいことではなく、命をまっとうしたことを、誕生することと同じように感謝するものだった。
たぶんそこには自死という考え方もなく、そのような考えをもつ必要すらなかったと。
現代からするとユートピアに思えますよね。
とはいえ、その時の人たちにもきっとその時なりのネガティブなことはあったはずですが、それのとらえ方が現代とは違っていたのではないでしょうか。
そんなことを考えてみると、これからの社会システムは網目にがんじがらめ、自由が乏しくなりかねないですが、海には網の目をぬって脱出していく魚もいるわけで。
見習いたいところです(笑)
● トップへもどる