シノワローザ空間

お庭仕事や薔薇、植物、好きな事など

ニューエイジ神様的スピリチュアルに思うこと

新型コロナウィルスのパンデミックになってから、特に目につくようになったものがあるということがニューエイジの世界、スピリチュアル系に関してです。

私はもともと生まれた時からこの世界が好きなので、いろいろなことを見て読んで、聞いて体験してまいりました。

赤ん坊の時なんてねー。。。そんなはずはございませんが物心ついた頃から好きです(笑)

ですのでこのブログでも、インドのアナンドくんの予言神社、神様、心霊類などについても、いろいろ不思議なことなどをホラーカテゴリーの持論でお話をさせていただいております(^_^;)

 

ホントに多くのスピリチュアル系サイトがあるので楽しいのですが、プロ、アマ問わず共通して書いてあることが。

前にもどこかで少しこのようなことをお話したことがある記憶があるんですけど。。。

 

 

序章のアセンション

たとえば『アセンション』という言葉が使われていまして、人類のアセンション、地球のアセンション、次元上昇をするにはこれこれです、私はアセンションをしました、そのようなことをよく目にします。

上昇も、上昇思考をもつ、人間力をあげる、平和を願うなどはよいことですが、世界の次元や地球の上昇ということは正直、私にはよくわかりません。

このような方々が提唱するように地球規模の平和を願っても、戦が消えることはないと思っています。

広い気持ちで愛を、地球を愛で包む、言葉の意味はわかりますが、いわゆる善と悪が混在する人間という生き物が地上にいる限り、地球規模の愛で戦争をなくし平和に、は難しいことだと思うからです。

もちろん平和を願うことは尊いことで、できるなら平和よりに世界が動いていけるのがいちばんいいんですが、そうは問屋が卸さないが現実ですよね。

本当に、みどりのゆびのチトがいてくれればいいんですが。。。

 

肉食をしない?

中でも『私はアセンションをしました、あなたのアセンションを手助けします』とか『神様と話せる(通づる)』という方が、肉食をしなくなった、嫌うようになった、ということが書いてあります。

個人の好き嫌いはその人なり。

好き嫌いではないですけど、ヴィーガンの方々などは、ご自分の主義でそうしていらっしゃるんですよね。

でも神を語る。。。

 

たとえば神の伝達者であるとおっしゃる、数々の新興宗教の教祖の方や、新興宗教でなくても、自分は神の言葉を聞くことができると自称されている方々。

そこには自分は選ばれた者、いうなれば神の代弁者であり、その膝元に近いのだ、ということをなんとなくですが、さりげなーく選民意識が働いているような。優越といいますか。

神様のイメージ

え~~なによぉこの人ぉー神様と話せるとかいっちゃって~、とかではありません(笑)

素直に、直感的にそう感じます。

 

ご本人が本当にそうであったとしたら今私は、まったくもって畏れ多い、失礼極まりないことを口にしていることになりますが、真にそのような方は砂粒の中の黄金を探すくらい少数なのではないかと思えます。

それじゃもしも本人がそう思っているだけだとしたら、それで料金発生って。。。

 

占星術師はお仕事です。

迷い人になにかしらの方向性を示す、当たるも八卦当たらぬも八卦とお客さま側もわりきって料金をお支払いしますよね。

なにかの指針が得られればというお気持ちだと思いますし、ただ単におもしろそうだからということもあるかと。

僧侶は修行され、ご縁でその職につかれ、ご住職さまは実際にお寺を運営するお仕事、ご供養、檀家さんに対応されています。

もちろん悪人はどのような仕事についている中にも、人である限り一定数はいますよね。

でもそこまでの割りきりはなく漠然と、私は…  とおっしゃられているのを目にするとそこはかとない違和感と疑問を覚えます。

私もこの世界の探究は長いので、よけいにそう感じるのかもしれませんけど(^_^;)

 

『私は神に通じることができような高尚な者になったので、牛や豚などの肉を食べなくなった、おいしくなくなった。肉食は罪でもある』と定義づけをしていらっしゃるのは、なんか妙。。。

ただ単に、好みが変わったから肉があんまり好きじゃなくなったのよ、っていわれれば納得できますし(笑)、アレルギーがあるので口にしないというのも医学的なことですからわかりやすいですよね。

 

生き物の生命

でも。

生命というのなら、この地球上で牛や豚、羊、ウサギ、鳥などの、肉をもつものだけが生命なのでしょうか?

魚やタコ、イカカニ、エビ、おいしいものも生命じゃないですか?

それなら植物は?

生き物じゃないんでしょうか。

野菜や果物ですが。

どうして肉だけを食べなければ、それが神に通じることになるんでしょう。

神社のしめ縄

宗教上、イスラムやヒンズーでは牛や豚を食べませんが、古い宗教なので、この方々の信仰は理解できます。

でも無宗教者数の多いこの日本で(私も特定の神様信仰はなく無宗教者です)、肉食をしないから私は神のお膝元に近づいた、ということは私には少し理解しがたいことですね~。

もしも他者の生命を奪わないことが、神に近づく方法なら、何も食べずに、カスミだけで生きていられる仙人、それが道理では?(笑)

 

生命活動をしているものは絶対に他者の生命と水をいただかなくては生きてはいかれません。

この世に生命を授かり、毎日平凡に、でもその平凡でいられること自体がありがたく、いろんな人たちや動植物、大地、物に支えられて生きている。

もしも私が神というものの意思で生かされているというのなら、他者の生命をありがたく無駄にせずいただいて、そして何があろうと一生懸命生き続け、生きとし生ける者に思いやりをもつことこそが、私の『生きている』『神様とともに』ということなのではないのかなと思ったりします。

…なんかちょっと宗教っぽ言い方ですけど、べつに宗教のお話ではございません(^_^;)

 

それに栄養面も生きる限りは大事なことですよね。

病気に抵抗力をつけるためには大切です。

動物性のものも、基本的には人間の身体に必要な栄養素ですし、植物性のものだけが人の身体を作っているわけではないですので(といって久しぶりにケンタッキーを食べたい。。。)。

 

肉食をしなくなった、しないという明言は、神や御霊と話せるという能力のなんの証明にもならなくはないでしょうか(神職などの専門的な方はべつ)。

それで他人様からお金をいただく、というのは仮に有名な方であっても、私はそれを信じることは難しいですね~。

他人様も、そのお金は頑張って得たものだからです。

でもご本人が納得されている分にはWin-Winの関係が成り立ちますから、かまわないかもしれませんが。

 

私はその方に人間としての魅力を感じれば、そのような意味でその方を信じたり、お支払いをすることはある、かも、しれません。

でも、たぶんナイと思います(どっちだよ)。

 

新興宗教も、信じている方にとっては救いになりますが、教祖も同じ普通の人間なんですよね~。

食べ物も食べるし排泄もします、病気や怪我に見舞われることもあるでしょうし、刑務所に入ることも、感情に悩まされることもあるはず。

教祖は神様ではなく、人間です。

新興宗教の教祖という呼び名はやめて、画期的新興集団の元祖、とでもいえばいいと思います。

盲信することなかれ。

この世の表に出ていることだけを信じず、その裏にあるかもしれない真実の可能性、あるいは虚言であるかも? ということを、いつも自分の探究心をもって考え続けます。

そもそも、目に見えない不思議ワールドは本当に心地よいので(笑)

 

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★ つけたし

死や血は穢れといわれます。

生き物の血も穢れたもの、血液そのものが命と見なされるので血の出るものは食べちゃダメ。

でも血の赤は生命力を表すので魔を祓う、魔除け、神聖なるものです。

ですから、その職にある方、またその教えに敬虔に従う方は守る必要があります。

ここのところ、誤解がないようお願いいたします。

でも私自身はその意味するところに違和感を覚えます。

死は生と同じく生きている限りは訪れるもの、自然なことですので。

ただ、引っ張られるのは嫌ですし、縁起がありますので、やっぱりお葬式の後は塩を使います(笑)

そして肉は生き物には栄養の源で、血を固めたお料理などもアジア圏には存在します(無駄なく使わせていただくということ)。

それをいけないということは、野生の生き物たちの生も、否定することになるような気がいたします。

世に溢れるスピリチュアルブロガーさんたちのすべてが敬虔な信徒であり、神職につかれているとも思えませんので今回のお話を、ということを、書き足しておきますね(^_^)